物書きになるの。

物書きになりたいって、ただ思ってるだけじゃ、だめなの。遅すぎると思うの。だから書きはじめることにしました。私が、書きたいのは、日々、直接・間接的に出会う人の魅力、生き方、生きる智恵。少しずつ紹介します。


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目を閉じることで見えてくる世界がある 〜語り部 川島昭恵さんが教えてくれたこと〜
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4月の昼下がり。ラジオ局のスタジオにその日のゲストである川島昭恵さんは、濃いグリーンのスプリングコートに真っ赤なリュック姿で現れた。中国からの留学生、郭さんに肩を借り、用意された椅子の肘掛に白い杖をそっと立てかけ、腰掛けた。透き通るような肌に、黒目がちな大きな目にはうっすらとピンクのアイシャドウがのって、きらきらとしている。

6歳のときのおたふく風邪が原因で一夜にして全盲になった川島さんは、盲学校、早稲田大学文学部を卒業後、コンピュータ会社のプログラマーを経て、フリーの語り部として活躍している。


「川島さんの語る童話の世界には光があり、愛があるように思えました」実際に川島さんの語りを聞いた郭さんは彼女の語りをそんな風に表現した。確かに川島さんに話しを聞いていると発声そのものに力があり、つい引き込まれてしまう磁力のようなものを感じる。


太陽のように明るい川島さんだが、目が見えなくなった当初は、違った。今まで見えていたものが全く見えない。突然暗闇に落とされた不安を、どう乗り越えたのか。

●始めは死にたいとさえ思っていた
「私ね、自分の目が見えなくて沸きあがってくる、怖い、辛い、悲しいって気持ちを、がまんしなかったの」とにかくたくさん泣き、その頃彼女のそばにいることの一番多かった母親を、手加減せずに思いっきりぶったり、髪の毛をひっぱったり、むしったりした。そういう川島さんを、母親は大丈夫だよ、大丈夫だよと声をかけ、ひたすら抱きしめ続けた。「こんなに怖くて生きていけないって思っちゃってる私だけど、その私を守ろう、大切にしてくれようって思ってくれる人がいてくれたのが一番、元気を取り戻せたきっかけかな」盲学校に通うことになったことも、その後の川島さんに大きな影響を与えた。「今までは自分だけが辛い、苦しい、悲しいって思っていたけど、みんなが見えない環境にとび込んで、自分以外の目が見えない友達にたくさん出会った。”自分だけ不幸”って気持ちが少しずつ和らいでいったんだよね」

盲学校卒業後、早稲田大学に入学すると、彼女は再びマイノリティになる。けれど彼女は自分自身で処理しきれない気持ちを受け止めてくれる母の存在と、盲学校で多くの友人を経たことで、強さと自信を身につけていた。「不安もあったけど、期待も大きかったの。自分はどんなふうに見られるのかなって。実際、先生も友人もいろんな人が助けてくれて、あぁ、やっぱり一人じゃないって確認できた」

それでも不安に思うことはあると言う。「自分が向いている方が、あっているかわからないの。前なのか、後ろなのか。それで、いいや、自分が向いている方が前だと思うことにしようって」それから川島さんはいつも前向きになった。

●他人に見つけてもらった可能性
卒業後のプログラマーの道は、社長からのスカウトだった。
プログラマーには全く興味がなかったのにね、社長が言うの。みんな勉強もせずに始めからわかってできる人なんていない。大切なのは、素質があるかどうか。それはやる気があるかどうかだ。僕は君にそれを見たーーーってね」自分で気付いている可能性以外にも可能性はあるのかもしれない。それを自分ではなく別な人が見出し、生かすチャンスをつくってくれることもあるかもしれない。その可能性に賭けてみたい。そうして彼女はプログラマーになった。実際にやってみたら、すごく面白かった。自分にはこんな能力もあったんだ、と新鮮な発見で嬉しかった。

それでも次第に「自分ができる仕事」ではなく「自分が喜ぶ仕事」をやりたいと考えるようになる。自分が喜ぶ仕事。思い浮かんできたのは、幼い頃盲学校で見た、語りの世界だった。耳から言葉を聞いているのに、自分の目の前に次から次に映像が浮かんでゆくという不思議な体験だった。あの世界に自分も関わりたい。仕事の傍ら、語りの教室に通うことにした。やっぱり面白い。語りを真剣にやりたい気持ちが大きくなっていった。仕事を辞めようか。しかしせっかく厳しい就職難を乗り越え、見込まれて就いた仕事である。辞めたあとの苦労も心配だった。迷った。

「私、大切なことはなかなか決められないの」と語る川島さんは、それまで半年ごとに買っていた会社に行くまでの定期を、一ヶ月ずつ買うことにした。一ヶ月経つごとに自問した。このままでいいの?辞める?辞めない?答えがでないとまた一ヶ月分。迷っては買い足し、迷っては買い足し、気付くと12回買っていた。

●自分で決めた語り部の道
そんな頃、転機が訪れた。当時語りでお世話になってた先生が連れて行ってくれたスナックでスナックのママがなんとはなしに話していた言葉だった。「よく考えるのは大事だけど、あまり長く考えすぎちゃだめよ。実行するにも時間がかかるから。実行したら短い間に考えて、また実行、また考えて、実行する。それが人生なのよ」これは今の自分に天がくれたメッセージだと直感した。それからすぐに辞表を出した。

生まれ変わったら、今の語り部の道に進むことをまた迷う?「ううん、もう少し早く決断してると思う。たぶん11回目くらいで」暖かく、にこやかに、前向きに川島さんは答える。

語りは目を閉じて聞く方が世界に入り込みやすい。目が見えることが返ってじゃまになる。川島さんは、目が見えないことで、見えてきた語りの世界の魅力を教えてくれた。そして、語りのほかにも、見えているようで見えていなかったこと、見えづらくなっていた大切なことに気付かせてくれた。

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