呼ばれてしまった

飛びぬけた才能、素晴らしい作品に出会うと、体が急に熱くなって、とんでもない行動力が発揮されるから、自分でもびっくりしてしまう。いつもなんか冷めてるというか、どっちでもいいよって諦めてるというか、とにかく、喜怒哀楽なんて作り物にしている感覚が日常だから、体が先にとっとこ動いて、あとから頭で理解していくなんて、数年、数ヶ月に一度のこと。でも、そのときがくると、私は、わかる。あ、また、別の、才能に呼ばれたって。そしてわくわくする。今度はなんだろう?って。それはたいてい、外の遠くの方から呼ばれるのだけれど、私はただ、その呼び声みたいなのについていくだけでなくて、同時に私の中のなんかがひっぱりだされていく妙な感覚を味わう。


あるとき、ダヴィンチが好きになって、最後の晩餐と、受胎告知と、とにかく、いろいろ触れたくなって、気づくとミラノの教会、フィレンツェの美術館にいた。

あるとき、宮城まり子さんが気になって、日経新聞の縮刷版をひっくり返し、今年の4月から連載された彼女の『私の履歴書』を3時間くらいかけて一気に読み、そのあと、六本木ヒルズでねむの木学園の子供たちの作品展をみて、彼女のエッセイの『淳之介さんのこと』を数日で読み終えていた。

あるとき、サティとリストが気になって、楽譜も読めないのに、電子ピアノを買って、練習してた。(継続中)


そうして、気づくと、絵が好きで、お話を書くことが好きで、ピアノが好きな、自分になった。ほかにもいろんなときの、いろんな人の、いろんな才能との出会いがあって、私の頭の中は、とりあえず今のところは、J-SOXと、ポスドクと、Webマーケティングと、サブプライムと、英語と、中国語と、ロハスと、岩盤浴と、セカンドライフと、NGNと、とにかく、いろんな世界の言葉でいっぱいになって、ひしめき合っている。


それで、ようやく本題。さて、今回。大森南朋さんの才能に出会って、私はどうなっちゃうんだろう。
とりあえず、台詞まわしをまねっこしてみたりするのかな。あやしいな。でも、学生時代、演劇部だったとき(これ知ってる人少ない。かなり本邦初公開)、癖のある役やってたしなと、ふと、こっぱずかしい過去がよみがえってきたりする。昔書いた台本とか、探しちゃって練習しちゃったりとかするのかな。


こればっかりは、やってきたら、急には拒めず。何事もないようにして日常をすごしながら、頭の中ではまったく別のことを考えてる日がしばらく続くのかもしれない。
とにかく、よくわからないけれど、成長のタイミングがまたやってきたのだ。呼ばれてるのだから、とりあえず、行くしかないでしょ。行ってきます。