:桜の物語�

なんだか久しぶりにお話書きたくなっちゃった。
玉川高島屋のふかふかのクッションに座ってたら、ふと浮かんできた、青年とおばあちゃんの不思議な物語です。

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3月。朝。ブラインドから少しずつ暖かな日差しが差し込んでくる。春の訪れを感じさせてくれる優しい季節。ベッドから起き上がり、会社へ行く支度をする。クローゼットからYシャツとネクタイとスーツを選んで...。



自転車をこぎながら駅に向かう。ふといつも通り過ぎる公園で目が留まる。
桜だ.....。ふわっと吹く風に1枚、また1枚と花びらが舞う。
今年もまた桜の季節がやってきたんだ。



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僕の脳裏には5年前のちょうど今頃のことが浮かんでいた。大学を卒業し、4月からちょうど今勤めている都内の貿易商社に就職が決まったころだった。当時は景気がまだあまりよくなく、20社以上もの会社の入社試験に落ち、苦労の末にやっと決まった就職先だった。一番に知らせたのは、、当時一緒に暮らしていたばあちゃんだった。
そう、僕は両親を早くに亡くし、父方のばあちゃんと二人暮らしをしていた。ばあちゃんも戦争でじいちゃんを早くに亡くし、女手ひとつで育てた自分の子どもにも先に死なれ、本当に気の毒だと思うけど、人生いろいろだからとお互い早くに悟って、気の毒者どおしでなんとかやっていた。
ばあちゃんがえらいのは、もう70を過ぎるというのに、いつだって化粧をし、毎朝違う着物に着替えてから僕を起こしに来て、朝ごはんも毎日欠かさず用意してくれていることだった。なんでも自分がやりたいことはやるんだといい、ガーデニングだといって町や川原で見つけてきた草花をアパートの小さなベランダで育てていた。ただ、少々口うるさくて一度言い出したことは自分なりに納得するまで絶対にあきらめないのが玉に瑕だった。


たとえば夜僕が試験勉強をしているとき、ばあちゃんは好きなテレビが何もなく、手持ち無沙汰になる。すると僕の部屋を覗きに来て「修一、宿題見せてみぃ」なんていいだす。「大学じゃ宿題って言わないんだよ。レポートだよ」といっても、「いいから見せてみぃ」の一点張り。
「パソコンの中だよ。見えないだろ、老眼じゃ。」と言っても聞かず、しかたなくプリントアウトしてみせることになる。それでいて眺めてもわからない数式が並んでるもんだから「なんだかこむづかしいことやってるんね。わしにはついていけん」と言ってしばらく数式を眺めている。ぺらぺらレポートをめくり飽きると「眠くなったから寝るわ」と言って部屋を出て行く。そんなばあちゃんだった。


あの日も、きっとそんないつもの気まぐれだろうと思ってた。
その日は布団の中で、朝寝坊できる日曜のまどろみ時間を思いっきり満喫していた。そこに部屋に近づく、いつものばあちゃんの足音。「なにか起きる」と直感した。
「修一、桜見に行くよ」ほらきた、いつものだ。
「いつ?」
「今からに決まっとる」
「まだ咲いてないよ」
「咲いてるとこさ、行けばいいね」
「どこだよ」ばあちゃんは答えを用意していたかのようにきっぱりと
「広島あたりに行けば見れる」と言うのだった。


結局朝の9時。品川から新幹線に乗って広島に行くことになってしまった。やれやれ。
ばあちゃんをさらに尊敬してしまうのは、僕の答えを聞く前に、ばあちゃんは自分の言い出すことはすべて何でも思い通りになると決めてかかっていることだ。
だから、「わかった。じゃあ明日は予定があるから夜には帰ってくるよ」とOKを出すころには弁当、お茶、敷物なんかのお花見セットがすべて用意されているのだった。
もちろん荷物もちは僕だけど。



新幹線に乗り込むと、ばあちゃんは僕の向かいにちょこんと座った。桜色の着物で、いつもより明るい化粧をしているようだった。そして「修一、黒飴なめるね」と、小さい金魚模様のちりめんの袋から、黒と金色のセロファンに包まれた黒飴を僕に渡すのだった。昔っからばあちゃんが僕にくれる飴はミルキーでもホールズでもなく、黒飴だった。のどにいいかららしいけど。


「広島のどこでもいいの?」と聞くと
「いや、宮島の近くにいい公園があるんよ」という。


よくわからないけど、なんだかその日ばかりはいつも以上にばあちゃんのやりたいようにさせてあげようと思った。
電車の中でうとうとしていると、あっというまについてしまった。



駅に着くとばあちゃんは死んでた人が急に息を吹き返したようにはっと目を見開いて、「こっちだよ」と率先して歩き出した。
どこにいくというんだろう。
道っぱたに座り込んでいる鹿たちをよけながら、僕はばあちゃんの後に続いた。かなり気合を入れて作ったらしい、弁当が重い....。


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今日はここまで。続きはまた近いうちアップします。