:桜の物語②

前の日までのお話はこちら
玉川高島屋のふかふかのクッションに座りながら、ふと浮かんできた
桜にまつわる青年とおばあちゃんの不思議な物語です。

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やがて朱色の宮島の鳥居が遠くに見える小さな公園についた。
桜は.......。咲いていた。太い幹の桜の木が一本だけ、すこしだけ土の盛り上がった公園の中心に植えられていた。
美しく、咲き誇るという表現がまったくもってぴったりな桜の木だった。

「さ、弁当にしよう」
ばあちゃんは桜の木が作る影がいちばん気持ちよさそうな、平らな場所を選んで僕に敷物を敷かせた。昼過ぎだというのにあたりには誰もいなかった。70のばあちゃんと22の僕。なんだか不思議な二人のお花見が始まった。ばあちゃんのお重は、いつから用意してたんだと思うほど見事だった。1段目は玉子焼き、栗きんとん、竹輪とにんじんの煮物。2段目には鶏のから揚げとポテトフライ。3段目には小豆、野沢菜、干しぶどうの3種類のおこわが詰まっていた。

これだけ作ったのにばあちゃんは、自分は歯が弱いからといってからきし食べない。僕が食べているのを眺めながら、黒飴をのんびりとなめているだけだ。

すっかり食べ終わると、ばあちゃんは満足そうにうなづき、
「それ、あけてみい」とお重と一緒にバッグに入っていた風呂敷包みを指差した。
Yシャツと、渋い紺色のネクタイだった。
「就職祝い?」
「そうさね。着てみぃ」とばあちゃんは言う。
「ここで?」
「そうさね。誰も見とらん」
ばあちゃんはにこにこと微笑んでいる。着替えるまでは許さんよ、と無言のプレッシャーを与えながら。ばあちゃんだと言っても気恥ずかしいので、木の裏にまわり、着替えることにした。


Yシャツに腕を通すとき、アイロンはしっかりかけられているものの、新品ではないことがわかった。うっすらとなんだか懐かしいポマードのような匂い。それでもそのままボタンをはめ、ネクタイを締め、ばあちゃんに見せた。
「ネクタイはそうじゃない」ばあちゃんは僕のネクタイのへんなところを丁寧に直した。
「これでよし。ぴったりじゃ」僕から少し遠ざかり、満足そうに眺めた。

それから二人で写真を撮った。ばあちゃんは自分で僕一人の写真を撮りたがったけど機会音痴だったから、僕がセルフタイマーでセットして二人の写真を撮った。

そしてその後の出来事を僕はきっといつまでもずっと忘れないと思う。
しばらくお互い桜の幹を背もたれに休憩していた。風が冷たくなってきたのを感じたので
「寒くなるし、もうそろそろ帰ろう」と僕がいうと、
ばあちゃんは突然僕の手を握った。さんざん一緒にいて、さらにこれから一緒に帰ると言うのに、
「行かんといて。ずっとここに一緒にいよう」と言いながら、僕を見つめる目にはみるみるうちに涙があふれ、声をあげて泣き出してしまったのだ。僕が見たばあちゃんの最初で最後の激しい涙だった。
「一緒に帰ろう」といっても「いやや」と言って手を離さない。
泣きじゃくりながらそれでも僕を眺め、泣き止んだかと思うと思い出だしたようにまた泣き出すのだった。
何が起きたのか僕にはさっぱりわからなかった。
桜の木もいっしょなってはらはらと桃色の花びらを僕たちに落としていった。


しばらくそばにいてじっとばあちゃんの背中をゆっくりゆっくりとたたいていた。
一時間くらいたっただろうか。ようやく納得したのか、「行こう」とばあちゃんはいい、桜を支えによっこらしょと立ち上がった。
「大丈夫?」と聞くと、「いつでも大丈夫にきまっとる」と言い、着物についた細かな土をぽんぽんと払うと、そのまま振り返りもせず駅に向かって歩き出した。行きよりも幾分軽くなった荷物をもって僕はばあちゃんの少し寂しげな背中を見ていた。


帰りの車中でばあちゃんは気に入りの黒飴を一度もなめなかった。ただじっと黙って外の景色を眺めていた。


僕が覚えてるのは、そこまでだ。その後、家に帰ってどうしたとか、細かいことは忘れてしまった。
ばあちゃんはその後1年くらいして亡くなった。
葬式の時になって、親戚から広島の宮島はばあちゃんとじいちゃんが始めてデートにでかけた思い出の場所だったことを知った。桜の咲く公園で、あの日と同じように、はりきって弁当を用意し、お花見デートをしたそうだ。yシャツとネクタイはばあちゃんがじいちゃんにプレゼントしたもので、ばあちゃんが唯一じいちゃんの形見として捨てずにとっておいたものらしかった。
ばあちゃんの遺品から古いアルバムが出てきた。私物をほとんど見せない人だったから、ばあちゃんの過去を見るのはその時が初めてだった。宮島デートの写真もそこにあった。写真に写っている僕そっくりのじいちゃんを見て、ばあちゃんがあの日たくらんでいたことのすべてを了解した。


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桜の咲く季節になると思い出す。70のばあちゃんと22の僕のお花見デート。
さ、今日も仕事ばりばりがんばるぞ!