イ・ヒア ショパンの調べ もうひとつのお話


母に特別番組イ・ヒア ショパンの調べを聞いてもらった。
年末実家に帰ったとき、こたつに温まりながら、母は、私が記憶のまだない幼い頃の話をしてくれた。


「私の父母は無理に動かない指を鍛えさせようとはしませんでした。 指が動かないなら知性や体力で勝負って感じで」


番組の中の私のコメントについて、母は

「ほんとは違うのよ」と言った。


治したくて、治したくて、母はいろんな病院を探してまわった。どの医者にも私の指は治らないと言われ、それでも母は諦められなかった。整形外科なら日本一といわれる病院にたどりつき、1ヶ月近い入院をし、手術をさせた。小児科の入院は親子で泊り込むことが多い。母はそこでそれこそいろんな障害を持ついろんな子どもたちとそのお母さんたちと出会った。「りかちゃんはまだいいほうよ。指があるのだもの。この子には指がないの。」勇気付けられたが、それでも母は諦められなかった。結局指の奇形は治らないまま。


退院後、母は近所の人に見られるのがいやで私の指を包帯でぐるぐるまきにして隠していた。でもおしゃぶり好きな1歳の赤ちゃんにとって自分の指に巻かれた包帯は時にじゃまっけになり、時におもちゃにしかならなかった。すぐに包帯をほどいてしまったり、しゃぶってぐちゃぐちゃにしてしまう。そのうち包帯で隠すのは諦めた。


「パパも気にしていないようでいて気にかけていたに違いないのよ」と母は続けた。
「おまえが『パパ、親指さん痛い』と言うと、夜中でもいつでも何も言わずずっとマッサージしてやってたんだから」


「ママがこのままでいい、これ以上治そうと思うのはもうよそうと区切りをつけられたのはお前が小学校にあがる前くらいかなぁ。」

また指が痛いと言い出して、病院につれて行ったけれど、結果は同じ。「今の医学ではこれが限界です」とお医者さんに言われ、帰ろうと思ったちょうどそのとき、小さなマレットと木琴を持ったお前とおなじくらいのかわいらしい女の子に出会った。その子もお前とおなじように親指が奇形。でもその子は、両手だった。その子のお母さんは「この子、指はこんなだけれど、木琴が好きなのよ」と言った。

帰り道、私は母に言ったらしい「ママ、りかの指はよかったんだね、痛いのこっちの指だけだものね。あの子は両手なんだものね」
母はうん、そうよ。よかったのよ、とうなづいた。


その後。指を治そうと思うのはやめたけど、なんとか鍛えさせたいと思ったらしく、母は、ヒアちゃんのお母様と同じように、私にピアノを習わせようとした。でも経済的に難しく諦めざるを得なかった。バイオリンは?とも思ったけれど、バイオリンはもっと高かった。
義理の祖母がお雛様を買ってくれると言ってくれたとき、「お雛様はいいから、オルガンを買ってやって」と頼んだ。間もなく電子オルガンが我が家にやってきた。


だから我が家にはオルガンがずっとあったんだ。誰も教えられないから、放置されてたけれど、わからないなりに、よく弾いてたなぁ。。。


そんなわけで。もすこし細かい話はいろいろあるのだけど。
一応、私の親も、娘への愛情はたっぷりだというのをアピールしたがってたので、記録しときます。父は父でいろいろ主張があるようだけど、ま、近いうちに。