光と影


先日見にいったインドネシアの影絵芝居について、日本ワヤン協会を主宰されている松本氏がこんなことを言っていた。

「ワヤンは影という意味だけれど、それは単に人形の影をさすだけでなく、人の心の影をさす言葉でもある」

ワヤンを通じて描き出される物語はハッピーエンドで終わることがほとんどない。そこには人の心には善もあれば、悪もある、喜びもあれば、悲しみもあるという真理が生々しく描き出されている。人の心の明るい部分だけでなく、影の部分を映し出すことが、ワヤンの魅力でもあるというメッセージ。

さらに松本氏は、「ワヤンの物語は子どものためにではなく、大人のために作られている。大人が喜ぶものを作れば子どもも喜ぶ。わざわざ子どものために特別な言葉や世界を用意する必要などない」なんてこともおっしゃっていた。


日本の教育現場に近頃ちょっとおかしな問題が起きてるのはブーブ、ワンワン、あんよなんて、子どもむけの言葉を用意し、大人の世界に踏み込ませまいとすることも影響しているのかもしれない。子どもを子ども扱いせず、対等に扱うことが、正しい向き合い方なのかもしれないし、実際子どもたちが求めていることなのかもしれない。


善良な部分、美しい部分だけを見せるのではなく、邪悪だったり、醜い影の部分も見せ、それが多くの人に共通し、どんなに後味の悪いものなのかを幼い頃から疑似体験させることが、疎外感や嫌悪感を自分の心の中だけに溜め込ませず問題行動を回避させる一番の近道なのかもしれないね。


そんなことを思いながら、絵本作りの参考にと、実家から持ってきたサン=テグジュペリの「星の王子さま」を読んでいたら、この本が子どものためにでなく、大人のために書かれていることに今更のように気づいてはっとした。

何かが、私の心の中で動き出してるよ。

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TO LEON WERTH

I ask the indulgence of the children who may read this book for dedicating it to a grown-up. I have a serious reasons; he is the best friend I have in the world. I have another reason: this grown-up understands everything, even books about children. I have a third reason: he lives in France where he is hungry and cold. He needs cheering up. If all these reasons are not enough, I will dedicate the book to the child from who, this grown-up grew. All grown-ups were once children- although few of them remember it. And so I correct my dedication:

TO LEON WERTH
WHEN HE WAS A LITTLE BOY


レオン・ウェルトに

わたしは、この本を、ある大人の人にささげたが、こどもたちにはすまないと思う。でも、それにはちゃんとした言いわけがある。その大人の人は、わたしにとって、第一の親友だからである。もうひとつ、言いわけがある。その大人の人は、子どもの本でもなんでも、わかる人だからである。いや、もうひとつ言いわけがある。その大人の人は、今フランスに住んでいて、ひもじい思いや寒い思いをしている人だからである。どうしても慰めなければならない人だからである。こんな言いわけをしても、まだ足りないなら、その大人の人は、昔、一度は子どもだったのだから、私はその子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、始めは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)そこで、わたしは、わたしの献辞をこう書きあらためる。

子どもだったころのレオン・ウェルトに