Three for one dollar




遺跡の街シェムリアップで出会った子どもたち。
手にはポストカードや民芸品の腕輪やネックレスのアクセサリーを抱えてる。
「おねえさん、きれい。買う?」
(なかには「おばさん」と呼びかけてくる失礼な子も)
「ううん、買わないよ」お断りしても、
「買う?きれい 買う?」と繰り返しながら、いつまでもいつまでもくっついてくる。
こんな日本語誰が教えてんだろう。


こどもたちに共通の売り文句があった。
「スリーフォーワンダラー(3つで1ドルだよ)」
「買わないよ」と答えても、手の中に抱えてる腕輪を見せながらくっついてくる。
しばらくすると
「フォーフォーワンダラー(4つで1ドルだよ)」単価がさがったりもする。
みんなで申し合わせて決めてるのかな。


「一人の子から買ってあげると、別の子も次から次にやってきて大変だよ」
そんなアドバイスのせいにして、後ろめたさを感じつつも、何も買わないままで通り過ぎてしまった。あとで空港の免税ショップに行き、あ、あの子達から買った方が安かった、なんて気づいて後悔したりもした。
自分の都合ばかり考えてしまう自分、でもどうにかならないかなと思う自分もいる。営業の先輩として、うまい売り方教えてあげたらいいのかな。


いつも戸惑う。自分の持っているお金でできるだけ買うことが彼らを救うことになるのか。でも、その背後には、観光客から同情心を買いやすい子どもたちに売り子をさせようとする親がいる。生きていくためにそうせざるを得ない親の気持ちもわからなくはない。けれど、中には、稼いだお金の行く先が、ドラッグやお酒代だったりもすると聞くと、複雑。


感情で解決しようとするからいけないのだよね。気持ちだけでは何も解決しない。でも、感じないから何もしないのと、感じるけれど行動できてないのは、違う。


現状では何もできていない自分と、何かしたいと感じた自分を忘れないようにしよ。何か、ヒントになる出来事がこれから起きるはずだから。